果実より、甘い
「今回もお世話になります」
「どうぞ。もう自分の家みたいなもんでしょう」
「まあそーなんすけど」
初めこそ畏まっていた沢北くんは、直ぐに自宅に帰って来たように「ただいま」と言いながら荷物を置く。手を洗いに洗面所へ向かう背中はすっかり見慣れたものだ。
「長旅お疲れ様。先にシャワー浴びる?」
「そうします。汗かいてるし」
「タオルの場所分かるよね」
「大丈夫っす」
年に数回の帰国の為に常備してある部屋着と下着の替えを渡すと、それを手に浴室へ向かう。やがてシャワーの音が響いた。
その間にわたしは飲み物を用意し、お腹が空いているようなら簡単なものを作ろうと冷蔵庫を開ける。すると、水音が止んで浴室の開閉音が聞こえ、見慣れた部屋着のスウェット上下を着て現れた沢北くんは「さっぱりしました」の言葉通りの笑顔を見せた。
「相変わらず早いね」
「身体洗うだけっすから。頭はこれだし」
「そう言えば髪伸ばさないよね。今更だけど」
「楽なんすもん。伸ばして欲しいっすか」
「ううん。沢北くん頭のかたち良いし似合ってるからそのままがいい」
素直に思ったことを口にすれば、分かりやすく表情が照れる。大きな身体とのギャップは昔から変わらず、バスケット雑誌を開けば常に写真が載っているような選手なのに、コートを離れた姿はいつまでもわたしの知っている「沢北くん」のままで、それがほっとするし嬉しい。アメリカと日本で物理的な距離は出来ても、わたしたちの関係は何も変わらなかった。
「飲み物持ってくから座ってて」
「手伝いますよ」
「ううん。疲れてるんだから先に座って」
「飛行機で寝て来たから余裕っす」
言うなりトレイを手にし、自ら麦茶を注いだグラスを乗せる。
「じゃあそっちだけ先にお願い。すいか冷えてるから切るね」
「やった」
嬉しそうな声を上げてリビングに向かった沢北くんは、ローテーブルにトレイを置く。そしてソファへ腰を下ろすと、手慣れた仕草でテレビを点けた。
「暫く晴れるみたいっすよ」
「お天気なんだ。良かった。どっか行けるかな」
「行きたいとこあるんすか」
その問いに幾つかの場所を浮かべながら、三角に切ったすいかを皿に並べる。そして沢北くんの元に運び隣りへ腰を下ろした。
「真っ赤ですげー甘そう」
「でしょう。昨日少し食べたけど美味しかったよ」
「いただきます」
早速両手で持って齧り付き「甘いっす」と満面の笑顔を見せる。あっという間に食べ終えると早くも二つ目を手にしていた。
「手、べたべたしたらおしぼりあるから使ってね」
「あざっす。てかオレばっか食べてるじゃないすか」
「わたし昨日味見してるから」
「ダメっすよ。一緒に食べないと」
問答無用で「はい」と渡された一片を受け取り頂を齧る。よく冷えているのにしっかり甘くて、昨晩ひとりで食べた時よりずっと美味しく感じた。
「ところでさっきの続きっすけど」
「ん?」
「どっか行きたいとこあるんすか」
海に遊園地に花火大会。どれも行ってみたいと思いつつ、人ごみを思うと躊躇してしまう。それでもこの中だったら海かなあ、と口にしかけたところで、齧った天辺から薄紅の果汁が滴り手首を伝った。
「あ、ごめん。おしぼり取ってくれるかな」
両手が塞がっているのでそう頼むと、不意に手首が掴まれそのままぺろりと舐め取られる。思いもしない行為に唖然としていれば、悪びれずに沢北くんはにっと笑って見せた。
「こっちのが早かったんで」
そして、目を丸くしたまま固まるわたしの唇に同じように触れると、食べ掛けのすいかを取り上げて皿に戻した。
「いきなりどうしたの」
「これでも着いた時からずっと我慢してたんすよ」
「それにしたって突然過ぎるでしょう」
「食べてる姿がエロいんすもん」
「何それ。あとちょっとで食べ終わるのに」
「もう待てないっす」
言いながら、今度こそおしぼりを手にわたしの指を1本ずつ拭って行く。全て終えると自分の両手を同じように拭い、やがて綺麗になった手のひらが肩へと回された。
「自分がわたしにも食べろって言ったくせに」
「そーなんすけど。半年ぶりのわがままなんで許して下さい」
こんな時だけ年下の顔で、堂々と言ってのけるから沢北くんには敵わない。
「しょうがないから許してあげる」
せめて年上ぶって微笑んで見せると、途端に年齢差を覆すようにわたしは横たえられる。そこから先は、年下要素の微塵も無い力と動きに翻弄されるだけだった。