スピカ
「お前は恋愛なんかっていうタイプだと思ってたピョン」
「なんすかいきなり」
練習後、ロッカールームで着替えながら隣りにいた沢北に話をふる。唐突なのには慣れっこなのか、一瞬面食らった顔を見せたのち、すぐにいつもの口調で話し始めた。
「まあ実際そう思ってましたけどね。バスケ以外興味ないってのもあったし、バスケさえできればいいし。そもそも恋愛ってピンとこなくて」
「それがたった1年でなにがあったんだピョン」
「わかんないんすよ。むしろ深津さんに聞きたいくらいで」
以前、沢北の彼女――に告白されたことがある。1年の終わりごろだったから、もうだいぶ前の話だ。付き合っている相手もいたし応えることができなくて断ったものの、だからといってお互い態度を変えるようなこともなく、その後も普通にクラスメイトとして接していた。
偶然にも3年間同じクラスになり、3年生時になってそこに現れたのが沢北だ。さすがのこいつも1年前はまだ遠慮していたのか、上級生のクラスに顔を出すようなことはほぼなく、今年になってからちょいちょい部活絡みで休み時間にやってくるようになり、ひょんなことをきっかけに隣りの席に座っていたとほんの少し言葉を交わした。まさか、あんな些細なこと(としか他人には思えないだろう)でこいつが恋に落ちるとは。常日頃めったなことでは動じない自信があったのに、さすがにそれを知ったときは驚きを隠せなかった。
「ペンと紙を貸してくれたから好きになったって意味わからないピョン」
「誰に聞いたんすか」
「自分で言ってたピョン」
「そーでしたっけ。てかそれはしょりすぎっすよ。ペンと紙を貸してくれたから好きになったんじゃなくて、ペンと紙を貸してくれたときのさんを好きになったんです」
「どこが違うんだピョン」
「貸してくれたのがさんだったから、好きになったんすよ」
「理解できる気がしないピョン」
「じゃあ深津さんに聞きますけど、深津さんは深津さんの彼女のどこを好きになったんすか」
普段なら適当にかわすものの、話の流れから真面目に考えてみる。
「顔と性格ピョン」
「単純明快っすね」
「うるせーピョン。どっちもどストライクだったんだピョン」
万人受けする可愛さだとか、誰からも褒められる性格の良さだとか、そんなものは重要じゃない。大事なのは、自分にとってのストライクど真ん中だ。
「お前だってそういうことじゃないのかピョン」
「うーん、どうだろう。オレ好みって特になかったし」
それには「だろうな」と納得する。差し入れやらなにやらで数多の女子に囲まれているところを見ても、いろんなタイプがいたと思うのに誰に対しても同じ態度で、まったく心が動いている様子はなかった。
「なんていうんすかね。好み云々とかじゃなくて、オレにペンと紙を貸してくれたのが100%ただの親切心なのが良かったんすよ。こういうこというとまた河田さんに締められそうですけど、そこに好意が含まれてると重くて」
「聞いてるのが河田じゃないことに感謝するピョン」
「事実なんだからしょーがないじゃないすか」
揚げ足を取ってはみても、言いたいことはわかる。高校ナンバーワンプレイヤーとかいう派手な肩書に加えて、見た目もこれだ。そんなやつが女子からの好意を集めないはずがなく、このバスケ馬鹿にとってそれらが煩わしかったのは本当のことだろう。
「で、話してみたら浮ついたところがないし、我が強くないのに芯は強い。年上の落ち着きはあるのに年上風吹かせたりもしない。でもどんなオレも受け入れてくれて、かと思えば守ってあげたくなるところもある。そんなひとに惚れないわけないじゃないすか」
「……思ってた数倍ベタ惚れだったピョン」
「さん以外の誰かを好きになれる気がしないんすもん。それに彼女がいるおかげで女の子からの呼び出しも減ったし、バスケに集中できてほんと感謝っすよ」
沢北自身も話しながら気持ちの整理ができたのか、どこか清々しい顔をしている。17年間バスケのことしか考えてこなかっただろうこいつが、初めて覚えた恋愛感情をどう捉えているのか興味があって聞いてみたものの、思っていたよりずっとプラスになっていると知って嬉しく思う自分が不思議だった。
「それに、深津さんを好きだったってだけで信用できますよね」
「どんな理由だピョン」
「深津さんの良さをわかってるんすよ。表面で判断しないってことじゃないすか」
「失礼なこと言ってる自覚はあるのかピョン」
いますぐにでも締め技をかけさせようと河田を探す。すると、慌てて首を振り必死に弁解を始めた。
「変な意味じゃないすよ。尊敬する先輩の良さをわかってるって嬉しいじゃないすか」
本人を前にためらわず言えてしまうあたり、本当に素直なやつだと思う。根っこの部分がこうだから、どんなに生意気な態度を取ったところで憎めないのだ。
「表面云々はどういう意味だピョン」
「その語尾に惑わされないってことです」
「……ひとまず良しとしてやるピョン」
長々と話しているうちにいつしか頬が緩み、気付けばとっくにほかの部員は帰ったのか、残っているのは自分と沢北だけになっていた。
「引き止めて悪かったピョン。早く着替えて行くピョン」
「はい。てか、オレこそ散々のろけてすいません」
「自覚あったのかピョン」
呆れた顔をしてみせれば「へへ」と大きなからだでまるで子どもの顔を見せる。
「恋愛ってしようと思ってするもんじゃないんすね」
「藪から棒になんだピョン」
「いや、身をもって実感したなって」
「少しは内面が成長したみたいでよかったピョン」
「そっすかね」
「その調子でムラっ気も無くなるといいピョン」
冗談めかして口にしつつ、落ち着いたひとのそばにいることで精神面にもよい影響が出るんじゃないかと期待する。そんなふうに考える自分がどこまでも先輩で主将目線なことに我ながら可笑しくなり、零れそうになる笑みを着替えるべく頭から被ったTシャツで隠した。