GOOD MORNING-CALL
「あ。沢北くん」
なにげなく点けたテレビ画面に映ったのはよく知る坊主頭で、ひとりきりの部屋で思わず名前をつぶやく。いまにも「呼びましたか」と返ってくる気がするのは、つい先日までこの部屋で一緒に暮らしていたからだ。
アメリカにバスケ留学した彼は、日本にいるときは名実ともに高校ナンバーワンプレイヤーと呼ばれていた。けれど、本場の壁は高い。テレビカメラは容赦なくそれらを映し出して、本人があまり語りたがらないたくさんの苦労が、険しい表情とともにいくつも露わになっていた。
「向こうじゃ全然ちいさいんすよ」
「ポイントガードって深津さんがやってたポジションなんすけど、いまそれやってるんす」
「これまでずっとガンガン点取り行くほうだったから慣れなくて」
「ボール持ったら自分でゴール、じゃなくて空いてるとこに上手くパス入れなきゃなんすけど、味方を使うってのがまだまだなんすよね」
普段沢北くんはバスケの話をそんなにわたしにはしないけれど、いまインタビュアーに話している内容はすべて聞かされたことがある。付き合い始めた高校生の頃からそれなりに試合は観ているものの、専門的なことになると未経験者には難しい。そんなわたしに沢北くんはいつもわかりやすく教えてくれて、それを懐かしく思い出した。
画面のなかは大学の体育館らしき場所へ移り、大柄な外国人選手とマッチアップする沢北くんの姿が映る。日本で目にした試合では余裕で抜き去っていたような場面も、自分よりはるかに大きく、加えてスピードとバネのある相手には厳しいようで、あっさり止められる姿もブロックされる姿も初めてわたしが見るものだった。
けれど、目を背けずにいられるのは、映し出される顔が常に生き生きとしているせいだ。パスをカットされてもドリブルで抜かれても、即座に切り替えてボールを追う。子どものころ、陽が暮れるまでお父さんとワンオンワンをしていた沢北くんは、きっとこんな顔をしていたに違いない。ふとそんなことを思い、温かな気持ちで画面に見入った。
やがて、密着するカメラは沢北くんの暮らす部屋へついて行き、わたしもお邪魔したことのある室内が紹介される。見覚えのあるタオルやバッグが画面の端に見切れていたりして、この家でも目にしたそれらにくすぐったさを覚えた。
「寝室はNGで」
冗談めかして笑った顔に、わたしの頬も自然と緩む。「そこはダメなんだ」と独り言ちて、ベッドの大きさやシーツの色、脇に置かれたチェストボードの中身など、すべて知っているそれらを思い浮かべる。いまさらながら、自分が彼の身近な存在であることを実感し、幸せと喜びで胸がいっぱいになった。
番組はそろそろ終わりのようで、電話をする沢北くんを引きで映しながらエンディングテーマが流れ始める。すっかりくつろいだ様子で受話器を耳にあてる姿に「束の間の癒しの時間だ」というナレーションが被った刹那、とぎれとぎれに聞こえてくる会話が自分の記憶のなかで甦った。
「……これ、電話の相手わたしだ」
『今年も予定通り夏に帰国するんでどっか旅行しましょうよ』
『いいね。ちょっと長めに行こうよ』
『さん休み取れるんすか』
『いまから有給申請出せば大丈夫』
『やった。めちゃくちゃ楽しみっす』
少し前のこととはいえ、しっかり覚えている。
プライバシーに配慮してか、はっきり聞き取れたのは「どっか旅行」と「めちゃくちゃ楽しみ」の部分だけだったものの、声のトーンも間の取り方もあのときの会話そのもので、まさか受話器の向こうでこんな撮影が行われていたとは露ほども知らずにわたしは唖然とする。電話の相手が彼女だとばれたら、なんてことはまったく考えないし気にしない豪胆なところがいかにも沢北くんらしくて、こみ上げる笑みを堪えることができなかった。
エンドロールがCMに切り替わったところで、テレビのスイッチをオフにする。途端に声が聞きたくなって、頭のなかでアメリカとの時差を計算し、ギリギリかけても問題なさそうだと確認するや否や、はやる気持ちで番号をプッシュした。国際電話独特のコール音が数度響いたのち「はい」と待ち望んでいた声が聞こえる。
「もしもし。沢北くん?」
いますぐ話したいことが、たくさんあった。