友達でいいから
親友の彼氏と対面したのは、ほんの2、3週間前のことだ。
買い物に出掛けた帰り、別れ際に「もう少しお茶でもして行かない?」と誘ったわたしに、申し訳なさそうにしては顔の前で両手を合わせた。
「ごめん、この後約束があるの」
「そっか。ううん、気にしないで。今日は元々夕方までって言ってたんだし」
「ほんとごめんね。いつもならもう少し遅くても大丈夫なのに」
「いいのいいの。それより、待ち合わせって例の彼氏?」
冗談めかしてからかうように訊ねれば、隠し事の出来ないは照れ笑いをした後こくりと頷く。近所に住む幼馴染で今はアメリカに留学中だという彼氏の話は、随分前から度々話題に上っていた。
「大学が休みに入ったから今日帰って来るの。だから出迎えがてらここの駅で待ち合わせしてて」
成田からの地元へ帰るには、ほとんどの場合ここで乗り継ぎをする。教えられた待ち合わせ時間と電車到着時刻が表示された電光掲示板を照らし合わせれば、あと10分程で到着するに違いない。だったら――とわたしは好奇心混じりでお願いしてみた。
「ね、折角だし紹介してよ」
「え」
「ずっとどんな人か気になってたんだもん。こんな機会滅多に無いし」
「……うーん」
「だめ?」
普段のの性格からすれば二つ返事でOKかと思いきや、予想外の渋い反応にわたしは驚く。無理強いするのも悪い気がしてそれ以上押さずに切り上げようとすれば、暫し逡巡していたが苦笑混じりに口を開いた。
「あんまり愛想無いんだけど、気悪くしないでね」
「人見知りが激しいの?」
「んー、そういうのじゃないんだけど、とにかく無愛想なの。ぱっと見ちょっと怖いかも。でも、のことがどうこうとかじゃなくて誰に対してもそうだから本当に気にしないでね」
そこまで言われると流石に緊張したものの、タイムリミットは目前に迫っている。今更止めるとも言い出せず、覚悟を決める前にその時を迎えた。
聞かされていた通り、人波から頭ひとつ抜け出し歩いて来た彼は本当に無愛想で、長身との相乗効果で物凄い威圧感をわたしに与える。とりあえず、勇気を振り絞って自己紹介をした。
「初めまして。です」
「……ドーモ」
ぼそりと言って僅かに頭を下げた彼を、慌てたが肘で突く。
「楓ちゃんも名前くらい言ってよ」
「今おめーが言ったからいーだろ」
「良くない」
「何でだ」
この人も一応ちゃんと喋るんだ――なんて、おかしな感心をしながら2人の会話に耳を傾ける。改めて見上げた彼は、ちょっとその辺には居ないくらい格好良かった。
「飛行機順調だったんだ?遅れるかも知れないって言ってたけど」
「おう」
「相変わらず荷物少ないね。そのバッグに入ってるのボールくらいなんでしょう」
「バッシュも入ってる」
「知ってる。言うまでも無いと思ったの」
いかにも幼馴染らしい物慣れた遣り取りを、どこか羨ましい思いでわたしは眺める。
低い声で言葉数も少ない彼は、確実に親しくなる相手を選ぶタイプだ。そして、は選ばれた女の子だった。バスケットの本場に挑戦出来る実力に加えて、この容姿なら幾らでも寄って来る相手は居たに違いない。けれど、そういった相手は一切眼中に無かったと確信出来る。
何かを極めようとする人は、本人が意識するしないに拘らずストイックだ。
基本、その他諸々を切り捨てることに躊躇が無い。本当に欲しいものだけを追い求め、いつか必ず手にする。
勿論当て嵌らない人もいるだろうけれど、彼に関してはきっと間違いない。そのくらい、わたしに向けられた眼差しは無感動で、好悪以前に何の感情も含まれてはいなかった。
冷たさすら感じさせる、切れ長の黒い瞳。それがに向けられた時だけ幾分和らぐ。
そのギャップは呆れるくらい鮮やかで、湧き上がる彼への興味にわたしは戸惑いを隠せなくなる。
「――?」
「……ごめん。ぼーっとしちゃって」
「ううん。わたしこそを置いてけぼりにしちゃってごめんね」
互いに謝り合うわたしたちを、彼は無言で交互に見ている。そんな仕草は打って変わって無防備で、近寄り難い印象こそ変わらないものの、最初に覚えた緊張感は徐々に薄れ始めていた。
「気にしないで。元々わたしがお邪魔したんだから。じゃあそろそろ行くね。彼も、突然ごめんなさい」
に手を振った後、隣りへと短く詫びの挨拶をする。そのまま一歩踏み出そうとした時だった。
「流川楓」
「え?」
「……名前。さっきは悪かった」
きょとんとしたのはわたしだけでは無く、目が合ったも同じ顔で瞬きしている。
「……どうしたの。楓ちゃん」
「の友達だから。イチオウ」
「一応って何よ。しかも何で今このタイミングなの」
弾けるように笑い出したにつられ、わたしも吹き出す。そして、きちんと告げられた名前を口にした。
「ありがとう。流川くん」
もう一度手を振り、今度こそ背を向けてわたしは歩き出す。僅かな間に見せられた振り幅の大きさは、彼という人間に興味を抱かせるに充分で、もしももっと知ってしまったなら引き返せなくなるだろう予感がしていた。
だから、せめて友達になれたら――――今はそれだけを願って、気持ちがかたちになってしまう前に、小さく息を吐き宙に溶かした。