ANNIVERSARY
「凄い人だね」
「……寒みぃ」
ロングのダウンコートに身を包みポケットへ両手を突っ込んだ楓ちゃんは、首をすくめ襟元に顎を埋めながら同じ言葉を繰り返している。
「そんな温かそうな格好してるのに」
「るせー」
「はい。じゃあこれ1個あげる」
鞄の口を開け5個パックの使い捨てカイロを出すと、その中の1つを手渡す。
「ポケットに入れとけばすぐ温まるよ」
「もう1個」
「え?」
「左手も寒みぃ」
言われるがまま、利き手と逆のポケットにもう1つ入れてあげると、自分用に3つ目の外袋を破り両手で解す。徐々に発生する熱が冷え切った指先に沁みて行き、小さな温もりの有難さを実感した。
やがて神社の入口に着けば、参拝客の列が延々と続いている。最後部を見付け並ぼうとすると、いつにも増して低い声が頭上から響いた。
「……おい」
「ん?」
「並ぶのか」
「そうだよ」
あからさまにうんざりした顔の楓ちゃんを、強引に腕を引っ張って列の一番後ろに続く。
「全然進まねーぞ」
「これだけ混んでればね。みんな願い事があるんだよ」
「もあんのか」
「勿論あるよ。教えないけど」
わたしの願い事なんて、ひとつしかない。そして、そのひとつは何としても聞き届けて貰わなければならなかった。
「もしどうしても並ぶの嫌だったら端の方で待っててくれてもいいよ。その代わりちゃんと分かりやすい所に居てね」
自らの実力で何でも掴み取って行く楓ちゃんには、神頼みなんて言葉はきっと無縁だ。こうして並ぶ意味すらさっぱり理解出来ないのかも知れない。だったら付き合わせるのも悪いので、そんな提案をわたしはしてみる。
「少し向こうに行った所に座れる場所があったと思うから。その辺に居てくれればわたし探しに行くよ」
「どあほう」
「え」
「並ばねーなんて言ってねーだろ」
「だって待つの嫌いでしょう」
それには答えずにしれっとした顔で白い息を吐く楓ちゃんを、緩む頬でわたしは見上げる。
こういう空気感は昔のままで、どんなに愛想の欠片も無くても不思議な居心地の良さが彼の傍らにはあるのだ。
1時間程の後参拝を終えて、行列から離脱したわたしたちは、当て所もなく境内を歩いた。
目的は達したとは言え、もう少し一緒に居たい。そう思って辺りを見回せば、初詣には付きもののそれが視界に映った。
「ね、おみくじ引こうよ」
賽銭箱にお金を入れ自分で引く形式故に、並んでいる人も居ない。記載された額の小銭を納めると、迷わずに指先へ触れた1枚を引いた。
「小吉だ。わたし1回も大吉出したこと無いよ。楓ちゃんは?」
その問いに珍しくやや得意げに広げて見せた籤には、予想通り「大吉」の文字が記されている。ここぞと言う時の勝負強さは、いかにも楓ちゃんらしかった。
「わたしのは全体的に『根気強く待てば叶う』って感じだなあ。楓ちゃんのは何て書いてあったの」
「分かんねー」
「読むのが面倒なんでしょう。わたしが読むから貸して」
「もう無い」
言って指差した先の枝には、1枚の紙片が結ばれている。余りにも高い場所の所為で、その1枚だけがぽつんと闇に浮かんで見えた。
「何で結んじゃうの。大吉は自分で持ってた方がいいって聞くよ」
「関係ねー」
「せめて結ぶ前に何て書いてあったか読みたかったのに」
文句を言いつつ、自分のおみくじも結ぼうと空いている枝を探す。けれど、わたしの背丈で届く場所はどこも一杯で、なかなか隙間が見当たらない。仕方なく目一杯爪先立ちをして悪戦苦闘していると、おもむろに後ろから伸びて来た腕が籤を攫って、さっき結ばれたばかりの1枚の隣にきゅっと並べた。
「ありがとう」
背後に大きな楓ちゃんを感じ、急速に鼓動が高鳴る。そのまま寄り掛かり背中を預ければ、大人しく黙って受け止めてくれた。
「根気強く待てば叶うんだって。――――だから、大丈夫」
「……おう」
年が明けて暫くすれば、楓ちゃんはアメリカに渡ってしまう。
向こうでの無事と成功――――さっきわたしが祈ったのは、ただそれだけだ。
そして、このおみくじに示された通り、楓ちゃんが望んだものを手に入れて帰国するまで、わたしはいつまでも待っているつもりだった。
「あ」
ふと腕時計のクロノグラフに目を遣ると、日付の針が動いている。いつの間にか新年を迎えていた。
「誕生日おめでとう。今年も宜しくね」
「何笑ってんだ」
「だってこんな風に一番最初におめでとう言ったの初めてなんだもん」
何かが吹っ切れたように、清々しく幸せな気持ちで楓ちゃんを仰ぐ。
見下ろす黒い瞳は冴え冴えとどこまでも真っ直ぐな光を宿していて、それは、迷わず信じるに値するものだと、何よりもはっきりとわたしに教えていた。