慰めるため
さっきから洋平くんは何も言わない。
黙って煙草を燻らせながら、静かな眼差しで夜更けの海を見つめている。
「いきなり付き合わせてごめんね」
「いーえ」
たったそれだけでも素っ気なさを感じないのは、彼がまとっている空気のせいだ。
2学年下に在籍した、中学時代から知っているこの後輩は、一見排他的なようでその実誰よりも懐が深い。見た目のとっつきづらさからは考えられないくらい、わたしにとって洋平くんは、昔から何もかもをさらけ出してしまいたくなる相手だった。
「どうしてもひとりでいたくなかったの」
「前もそういうときあったよね。さん」
「うん」
同棲する彼氏の二股が発覚して、一切の弁解を聞かず部屋を飛び出したわたしは、今日と同じ場所で同じように洋平くんと並んで海を眺めた。
「許せない」「でも別れたくない」そんな不毛な泣きごとを延々と繰り返すわたしに、苛立つでも慰めるでもなく、適度に間を置いた相槌だけを打って、夜が明けるまでずっと隣りへ並んでくれていたのだ。
あれから半年。
再び浮気騒動が勃発し、いい加減疲れ果てたわたしは今度こそきっぱりと別れを告げた。
後悔はしていないし、未練もない。
ただ、時折真っ暗な部屋へ帰るのがどうしても嫌になるだけだ。
「別にね、もう何とも思ってないんだよ」
「うん」
「何とも思ってないんだけど、喪失感が酷いの」
「悲しいんじゃなくて寂しいんだ」
「たぶん、そう」
季節ごとに新しい料理の本を買ったり、眠りに落ちるまで他愛のないお喋りに興じたり、小腹が空いた深夜にコンビニまで買出しに行ったり。どれも些細で、でも欠かせない日常の一部だったそれらに、すぐに取って代わるすべなど見つかりはしない。22歳のわたしにとって、3年というのは決して短くはない時間だ。
「だから、ひとつだけお願い」
「ん?」
「キスして」
「そういうのよくないよ」
「いいから」
洋平くんはいつだって、二度は拒まない。
冗談なのかそうでないのか、100%間違わずに見極めてくれる。
今わたしが欲しいのは他意のない優しさと慰めで、それを求められる相手はひとりしかいない。半年前と同じように、心なんて曖昧な場所じゃなく、じかに触れられる場所へちゃんと与えて欲しかった。
わがままな子供を窘めるかのごとく苦笑した洋平くんは、やがて、火の点いたままの煙草を逆の手に持ち替えると、利き腕を伸ばしてわたしを引き寄せる。
「さん」
「なに」
「目、閉じて」
頷いてまぶたを伏せると同時に唇が重なり、瞬きと同じ短さでゆっくりと離れていく。
かすかに残された懐かしいほろ苦さは、そのままわたしの気持ちなのかも知れなかった。