未来予想図
「ごめん、お待たせ」
友人に招かれた披露宴の帰り、普段より高いヒールのパンプスで駆け寄ったわたしに、大きな丸い目が優しく細められる。
「のそんな格好初めて見た」
「そうでしょう。この日の為に買ったの」
日頃スーツでもパンツ系が多いわたしにとって、フェミニンなワンピース姿は自分でも面映ゆい。
いつもより濃い口紅の色や美容院でセットした髪型も含め、神くんの目には一体どう映っているのかと、そればかりが気になって仕方なかった。
「何か恥ずかしい。こんな服着たこと無いから」
「どうして。似合ってるよ」
「でも神くんは普通の格好なのにわたしだけこんなじゃおかしくない?」
「全然おかしくなんか無いと思うけど」
心なしトーンが落ちたような口調で、言うなり神くんはわたしの手を取って歩き始める。
「いつまでもこんなとこに居たら寒いだろ。どこか入ろう」
「うん」
防寒には不向きな服装の所為で、コートを羽織っていても普段以上に寒さを感じる。
そんなわたしを慮ってか、神くんの腕は珍しくしっかりと肩を抱く格好に回されていた。
「歩きづらいだろうけど我慢して」
「ううん。暖かい。ありがとう」
それは嘘では無く、触れた部分から伝わる体温が少しずつわたしの身体に染み渡って行く。密着度の高さ故に火照る頬と相まって、冷たい風が次第に心地良くなり始めていた。
「ねえ。折角だからこのまま少し歩こうよ」
「何言ってるの。、風邪引くよ」
「だってお店入ったらこの腕解いちゃうでしょう。だったらこのまま外に居たいの」
程良く効いたアルコールが、さらりとこんな台詞をわたしに吐かせる。装いとは裏腹に、子供のように甘えてみたい気分だった。
「ね。お願い」
「しょうがないなあ。あと少しだけだよ」
「うん。あ、そうだ。だったらこのまま家まで来ない?」
「家って、の家ここから全然近く無いだろ」
「そうでも無いよ。ほんの30分くらい」
「30分は普通ほんのって言わないから」
完全に呆れた様子の神くんは、それでもちゃんと進路を修正し始めている。
「そんな歩きづらそうな靴でほんとに大丈夫なの」
「大丈夫。もう大分慣れたから」
「女の人って凄いよね。それ背伸びしながら歩いてるのと同じでしょ」
爪先立ちという意味では確かにそうかも知れない。けれど、大抵の面において大人びた神くんの口からそんな無邪気な言葉が飛び出すとは思わずに、意外性の可笑しさでわたしの頬は自然と緩んだ。
「そ。背伸びしても全然だけどね」
神くんの背丈に追い付こうと思ったら、あと何センチ踵を足さねばならないだろう。改めて大きいんだなあと実感し、ふと今日の新婦だった友人に聞いた話を思い出した。
「そう言えばね、今日が言ってたんだけど、新郎新婦の身長差って10cmくらいが並んだ時に一番見栄えがいいんだって。だから、式場にある靴の中で一番ヒールの高いやつ履かされたって嘆いてたなあ」
「ああ、さん小柄だもんね。でもも似たようなもんだろ」
何度か会わせたことがあるので、神くんものことは知っている。実際にはわたしの方が幾分大きいのだけれど、190cmに届こうとするひとから見たら、どちらもさして変わりはないのだろう。
「の彼より更に神くんは大きい訳だから、わたしはもっと大変なんだろうなあ」
「え」
さらりと零したわたしの言葉に、驚きを顕わにした双眸が向けられる。
「え、なに。わたし何かおかしなこと言った?」
「……いや。ちょっとびっくりしただけ」
訝しく思いつつ心の中で反芻していれば、やがて、自分がとんでもない発言をしていたことに漸く気付く。慌てて弁解すべく急いで口を開いた。
「違うの。そういうんじゃないの」
「うん?」
「だから、ああもうごめん。神くん引いたでしょう。わたしが変なこと言ったから」
「変なこと?」
噛み合わない会話をどう繕うか必死に頭を悩ませていると、小さく息を漏らした神くんが柔らかな笑みを浮かべ言った。
「は何もおかしなこと言ってないよ。オレこそごめん」
「だって完全に神くん引いてるっぽかったけど」
「違う違う。本当にちょっとびっくりしただけなんだって。あんまりさらっと凄いこと言うから」
「どういうこと?」
さっきまでとは逆に、今度はわたしが問い掛ける。とりあえず悪い話の流れでは無いことにほっとしていた。
「未来に関する話が出たのって初めてだったからさ。成人したとは言えオレはまだ学生だし、がそんな風にこの先も隣に居るのがオレだと思ってくれてるのが嬉しかったんだよ」
「……そういうことね。良かった」
安堵して胸を撫で下ろすと、ひと呼吸ついて神くんを仰ぐ。
そして、まだ僅かばかり残っている酔いに力を借りて、いつか伝えられたらと思っていた気持ちを浮かぶまま言葉に紡いだ。
「知り合った時は高校生だった神くんが今じゃもう大学3年生になるんだし、時が経つのなんてあっという間だよ。わたしね、神くんと出逢ってから1年過ぎるのが本当に早く感じるんだけど、それが全然嫌じゃないんだ。一緒に月日を重ねて行けるのが嬉しくて仕方ないの。それは、勿論この先もずっとね」
偽らない本心についつい熱くなり過ぎてしまえば、神くんの顔が徐々に綻び始める。同時に、肩先に触れる手のひらへしっかりとした強さを感じた。
「今日会って直ぐにさ、オレが普通の格好なのに自分がこんな服装じゃおかしくないかって気にしてただろ」
「うん」
「あれちょっとショックだったんだ。まだ日常にスーツを着るような生活じゃ無い自分に、ね」
「だからちょっと声が沈んでたんだ」
「気付かれてたか。まあいいんだけどさ。に素を見せるのは慣れたし」
「あ、それ嬉しい」
そんな話の途中でわたしの住むアパートが見えて来て、神くんが小さく「あれ」と呟く。
「もう着いたんだ」
「そう。30分なんてあっという間でしょう」
「だな」
鍵を開けて中に入ると、扉を閉めるなり後ろから両腕で包み込まれる。背中から感じる温もりの心地良さに身を任せていれば、穏やかな声音が頭上から響いた。
「焦ることなんて何も無いんだよな」
こくりと頷いて交差した腕に指を絡める。わたしの返事はそれで伝わったらしく、見上げた神くんの眼差しは冴え冴えとしていて、視線がかち合うなりどちらからともなく唇を重ねた。
「改めて、これからも宜しくね」
もう一度キスをして、玄関を上がった神くんからコートを受け取る。それをハンガーに掛けながら、ふと、初めてこんな風に制服のブレザーを受け取った日のことを、懐かしい気持ちでわたしは遠く想い返していた。