はじまりはいつも雨
「神先輩と付き合ってるんですか」
日曜日に海南の体育館で行われた、他校との練習試合。
会社が休みということもあって一般ギャラリーに紛れ観戦していたわたしは、試合終了後神くんと同じ高校の制服を着た3人の少女に声をかけられた。
どう答えたらいいものかと暫し悩みつつ、それでも「いつか聞かれるだろうな」と思っていたわたしは、遂にこうしてその時を迎えても意外なほど落ち着いていた。
その外見よりずっと豪胆な神くんは人目というものをほとんど気にしなかったし、あの年頃の少年にしては珍しく公私をきっちりと使い分ける子だった。
今日みたいに練習試合を観に来ればその帰りは普通にわたしと肩を並べて帰ったし、そしてそれが周りの目にどう映るかなど気に留めている様子も無い。
なのでそんな神くんの素振りにわたしの方が気を揉んでしまい、一度だけ訊ねてみたことがあった。
「ねえ。皆に冷やかされたりとかしないの?」
「今はもう、全然」
『今は』と言うからには、やはり最初の内は違ったのだろう。当然だ。
寡黙で大人しげな雰囲気を醸し出す神くんみたいな男の子の隣に、学生にすら見えない明らかに年上の女が居たら、不躾な興味を抱くのはごく自然な反応だ。そして、好奇の視線を向けられた神くんが次第にその要因を作り出すわたしを疎ましく思い始めたとしても、何ら不思議では無いのだ。
けれど、神くんは違った。彼はわたしが思うより、びっくりするほど大人だった。
「うん。付き合ってるよ」
神くんを思いながら、彼女たちの望んでいる回答をしてあげることも出来なくは無かったけれど、まだあどけなさを残す少女相手に適当な嘘は吐きたくなくて、3人の真ん中でじっとわたしを見つめる彼女へ向かいはっきりと答えた。多分、この子が本命なのだろう。
案の定わたしの予想は当たっていたらしく、さっと瞳を伏せた彼女は小さな声で「ごめんなさい」と謝るなり、くるりと背を向けて足早に立ち去ってしまった。
そんな彼女を追う、友人と思わしき2人の少女が去り際に見せた眼差し。それにはっきりと含まれた分かりやすい敵意は「大人のくせに」という無言の圧力となってわたしの胸を鋭く抉る。
「。何か言われたの」
その声にはっとして振り返れば、ミーティングを終えたらしきジャージ姿の神くんが怪訝な顔で近付いて来る。どこから見ていたのかは知らないけれど、わたしが何やら囲まれていたことは知っている様子だ。
「ううん。大したことない。ただ神くんと付き合ってるのかって訊かれただけ」
するとわたしの返事を聞いた神くんは、心底不思議そうに「ふうん」と言って遠ざかる彼女たちを一瞥すると
「そんなの見てれば分かるのにね」
曇りの無い笑顔であっさりと身も蓋も無い言葉を紡ぐ。
その悪意の無い残酷さは、わたしが彼を大人だと思う気持ちと相反するものかも知れないけれど、そんなアンバランスな部分も含めてわたしは彼が好きだった。
「行こう」
「うん。今日は何食べよっか」
「そうだなあ。は何がいい」
「わたしはね、麺類なら何でも」
「麺類って、相変わらずアバウトだなあ」
そんな風に夕飯談義をしながら外へ出ると雨が降り始めていて、神くんと会う時はどうしていつもこうなんだろうと盛大な溜息を吐く。
「何か、わたしたちって太陽に見放されてるみたい」
気にしない様にと思ってはみたものの、やはりさっきの彼女たちの件は内心堪えていたらしい。制服やジャージといった世界からとっくに卒業してしまった自分が、まるで天気にまで不似合いだと責められている気分だった。
すると、穏やかな笑みを見せた神くんは、手にしていたビニール傘を開きながら
「降る度にを思い出すんだから、別に悪くないけど」
言うなり隣へ入る様わたしを促し、降りしきる雨の中へ一歩踏み出す。
そしてわたしはさらりと口にされたその言葉に唖然としつつ、込み上げる嬉しさを隠すことが出来ない。
「うん。悪くないかも」
少し距離を縮めた長身の神くんを仰ぎ見れば、傘越しに映る半透明な景色。それがわたしのものだということに幸せを覚えながら、そう言えばわたしの呼び方が「さん」から「」になったのもこんな日だったっけ、と甘やかな気持ちで思い返していた。