10years
「お待たせ」
声を掛けながらぽんと肩を叩けば、振り向いた健司の目がはっきりと見開かれる。
「、その格好どうした」
「どうしたって、お正月だし」
「そりゃまあそーだけど。着物着て来るなんて言ってなかったじゃん」
「びっくりさせようと思って」
「……すげえ驚いた」
まじまじと見つめられて気恥ずかしくなったものの、感心したような眼差しに悪い気はしない。
「成人式用に作ってそれっきりだったから、このまま着ないのも勿体無いじゃない?」
「それもオレは見てねーしな」
今度成人式を迎える健司と違って、1つ年上のわたしは既に去年終えてしまっている。知り合ったのも付き合ったのもその後の為、当然ながら今まで披露する機会も無かった。
「でしょう?だから健司にも見せたかったの」
「だったらオレももうちょっとちゃんとした格好で来れば良かったな」
「ううん。2人揃って畏まった格好じゃ窮屈だし、いつも通りで良かったよ」
そもそも、健司はカジュアルな装いをしていても、姿勢の良さや醸し出す空気のせいか、常にきちんとした印象がある。だから、改めてフォーマルな服装をする必要は全然無いのだ。
「じゃあ行くか」
「うん」
並んで改札を抜けた健司の足が、エスカレーターの方へ向かう。いつもなら「このくらい歩け」と容赦無いところを、さすがに今日は考慮してくれたらしい。
「良かった。階段上らされなくて」
「洋服と同じって訳にいかねーからな。歩きづらそうだし裾とか汚れそうだし、着物って自分が着てなくても緊張すんだな」
言葉通り、わたしに触れる手の動きもどこかおっかなびっくりな感じがして、初々しい接し方に懐かしさを覚えた。
「付き合い始めの頃みたい」
「何が」
「このよそよそしい感じが。まだ『さん』って呼ばれてた頃思い出しちゃった」
大学のバスケ部に籍を置く彼の先輩とわたしが友達で、知り合ったのもそれがきっかけだったからか、初めの内健司はあからさまにわたしに気を遣っていた。2人でいても敬語なのは勿論、呼ばれる時は苗字に敬称というありさまで、何度も改めるよう注意をしてようやく『さん』に変わったのだ。
なかなか抜けずにいた敬語は、キスから始まった幾つもの初めてを経験すると共に、徐々に会話から消えて行った。そして、気付けば自然と『』と呼ばれるようになっていたのだった。
そんな、1年も経っていないはずの出来事が随分昔に感じる。
きっとそれは、今の関係が違和感無く日常に溶け込んでいる証なのだろう。
「健司のことだって最初は『藤真くん』て呼んでたんだよね。今じゃ変な感じだけど」
「今じゃ、って言えばオレも今だから言うけど」
「うん?」
「オレがのこと『』って呼び始めた理由はそれだぞ」
「どういうこと?」
言わんとすることがいまいち分からずに首を傾げれば、そのタイミングでエスカレーターが終点に近付く。一旦話を中断させた健司は、すっとわたしの手を取るとスマートなエスコートぶりを見せた後、打って変わって子供のような顔をして言った。
「オレだけ呼び捨てにされてるのがいかにも年下って感じで嫌だったんだよ」
「何それ。そんなこと気にしてたんだ」
「笑うな」
付き合い始めた当初19歳だった健司にとって、たった1つとはいえその差は意外に大きかったのかも知れない。成年と未成年の違いを実感するのは、大抵の場合下の世代の方だ。
なので、わたしは素直に「ごめん」と謝ると、繋いだ手のひらをぎゅっと握り締めながら続けた。
「19と20は大きかったかも知れないけど、20と21なんて変わらないよ。それはもう、この先ずっと」
偽らざる本心はちゃんと健司にも伝わったらしく、指を絡めるように繋ぎ直した手を小さく上下させる。そして、悪戯っぽい表情を浮かべて言った。
「そうだな。むしろこれからはオレが羨まれる方だろ。特にが三十路になる頃にはな」
「……それは10年後も一緒ってこと?」
丁度そこで到着した電車の走行音に、健司の答えが重なる。それでもわたしの耳は、きっぱりと言い切られた声を聞き逃しはしない。
「当然だろ」
反射的に見上げた曇りの無い横顔は、堂々とした自信に満ちている。
やがて到着した神社で並んで参拝の順番を待ちながら、祈るより先に叶ってしまった願い事を思い、他に成就させたいことは無かったかと自分に問い掛けてみた。けれど、どれだけ考えても何も浮かんでは来ずに、柏手を打ったわたしは再び同じことを祈り瞳を閉じた。
これからもずっと、健司と共に過ごせますように。