胸騒ぎのAfter School
「お前本当に門限とか大丈夫なのか」
「うん。大丈夫」
実際は全然大丈夫じゃなかった。
門限は20時。ここからわたしの家までは、どんなに急いでも40分は掛かる。そして今が何時かと言えば、ついさっき20時を回ったところだ。
「本当か?俺はこんな時間しょっちゅうだけど、お前部活やってないし普段ここまで遅くなること無いだろ」
「うん。でも文化祭の準備が始まって忙しいって知ってるし、後で電話も入れるから大丈夫だよ」
そう言ってもまだ腑に落ちない様子の藤真に、わたしは無理矢理話題を変えた。
「それより、買出しどうする?」
長机の上でノートを広げ、思い浮かんだものを書き出して行く。
藤真とは同じクラスで隣同士だけれど、ここは教室じゃない。
ずらりとロッカーが並び、どこよりも広さを持つバスケ部の部室だ。
何故わたしがそんな場所に居るのかと言うと、ここの部長と揃って文化祭実行委員に就任したからで、今週中に経費の申請をしなければならないにも拘らず、準備するものすら碌に決まっていない所為だ。
何しろ、藤真は忙しい。
キャプテンと監督を兼ねたインターハイ常連校のエースなんて、そう滅多に居ないと思う。きっとその辺を盾にすればクラスの面倒事なんて断ることも出来ただろうに、彼はそれを良しとせず、逆に「放課後時間取れないし、小野待たせるの悪いから俺がやっとくよ」なんてひとりで抱え込もうとする始末で、当然了承する訳にいかなかったわたしは、こうして部活が終わるのを待つことにしたのだった。
「こんなもんだと思うんだけど、どう」
「んー、そうだな。食材は別に考えなくていいんだっけ?」
「うん。それは飲食店やるクラスの分全部纏めて生徒会で発注してくれるみたい」
「なら大体そんなもんじゃないか」
未だ練習着という格好で隣の椅子へ腰を下ろした藤真は、綴ったメモにざっと目を通して頷く。
「じゃあこれで準備するものは決まりとして、次は申請する額だね」
最終的には領収書を提出して差し引きされるものの、常識的な範囲内で初めに幾らかは支給して貰える。
「食器類は紙皿でいいだろうし、テーブルクロスとかディスプレイ用品を踏まえても――これくらいで大丈夫だと思うんだけど」
「だな。そんなもんだろ」
大まかに算出した金額を見せれば、藤真も異論は無いらしい。なので、申請書にそのまま書き写せば課題はひとつクリアだ。
「とりあえずこれさえ決まっちゃえば、あとはまだ急がなくても大丈夫だよね」
既に門限を40分近くオーバーしている。そろそろタイムリミットかも知れなかった。
「提出期限迫ってんのはこれだけだしな」
「うん。今日はここまでにしよっか。じゃあ、わたし行くね」
せめて電話だけでも急いで入れようと、手早く荷物を纏める。そして扉に手を掛ければ、慌てた声の藤真に呼び止められた。
「おい、っ」
「なに?まだ何かあった?」
「先帰んなって。ちょっと待ってろ。送るから」
言うなりTシャツを脱ぎ出し、わたしの目なんて気にせず着替え始めた。
「ちょ、ちょっと!」
「別に減るもんじゃねーしいーだろ」
……ちっとも良くない。
綺麗に筋肉の付いた肩や背中は、どうしたって藤真が異性であることを意識してしまう。こんな2人きりの、閉鎖された空間の中で。
「とりあえず電話だけして来ちゃうから、ゆっくり着替えてて」
返事を待たずに駆け出すと、階段を下りた所にある公衆電話で自宅の番号を呼び出す。受話器を取った母親から案の定小言は貰ったものの、事情を話して「帰りはクラスメイトが一緒だから」と告げると安心した様子で、気を付ける旨注意だけされて通話は終わった。
再び階段を上がり、藤真の居る部室へ戻る。
既に着替えは済んでいたらしく、わたしが戻ったのを見て椅子から立ち上がった。
「全然大丈夫じゃなかったんだろ」
「そんなことないって」
「ほんとかよ」
「ほんとだもん」
「なら、もう少しここに居るか」
一瞬何を言われたのか理解出来ずに立ち尽くせば、僅かの後藤真は「冗談だよ」と笑って大きなドラムバッグを担ぎ、幾つもの鍵の付いたキーホルダーを手にする。
「さ、戸締りして行くか」
「……やだ」
「どうした」
「――たい」
「ん?」
「――――いた、い」
「……?」
「もう少し、ここに――居たい」
考えるより先に口を衝いた言葉に、誰よりも驚いているのはわたし自身だ。
けれど、どうしてもあのまま流してしまい切れなかった。
流してしまっては、いけない気がした。
「さっきのは、冗談じゃないでしょう」
静かに問い掛けてじっと茶色い瞳を見据える。
暫くの間視線を逸らさずにいた藤真は、やがてどさりと荷物を下ろすと
「言葉と顔が合ってねーぞ」
言うなりわたしの肩へ手を伸ばした。そのまま間髪入れずに、ぎゅっと胸元へ抱き寄せられる。
「泣きそうな顔して何言ってんだよ。挑発してんのか」
「……分かんない。それより、自分こそ何してんの」
思わず冷静に突っ込めば、頭上で藤真が吹き出した。
「オレも分かんねーや」
確かなのは、次に腕が解かれた時は何かが変わっていると言うこと。
早くそれを知りたいと思いつつ、もう少しこのままで居たい気持ちにも抗えないまま、答えは先延ばしに瞳を閉じた。